佼成9月号「欲ばりは煩いのもと」

貪りが招くわざわい

 仏教では、「貪瞋痴」を三毒といい、こうした煩悩が嫉妬や憎しみや不和を招いて自分を苦しめるといわれます。「貪欲」は、必要以上に貪り満足を知らない心です。

 会長先生は「釈尊は、いろいろな欲望を貪り求めると、諸々の煩悩が彼に打ち勝ち、危ない災難が彼を踏みにじる」と、貪るほどの欲深さがいかに身心にダメージを与えるかを教えてくださっています。人間には、いろいろな欲望があります。物欲・名誉欲・愛欲・支配欲・独占欲、本能的なものに食欲・睡眠欲等があり、これらの欲望を「もっと、もっと」と求めると「危ない災難」に踏みにじられるとお教えくださっています。「金銭や財産に対する過剰な欲とか愛欲へのとらわれが自他の妬みや怒りや憎しみを生み、トラブルという災難がふりかかる」「人から疎まれるストレスが、体調にも影響するという災難」「欲ばることで周囲の人とけんかし、暴力によって傷つけられる災難」と事例をあげてくださっています。自分の欲望が、身心の健康を冒していくというのです。私たち人間は、ときに欲望に歯止めがかからなくなります。

それゆえ、「利他の心」を忘れずに欲望をほどほどに抑える日頃の精進が欠かせないのです。

 例えば、一食を捧げる運動を通して「いいことに使って頂きたい」と喜捨する・教会や地域のお役を通して奉仕させていただく。そうして「人のために尽くす」時、自ずと執着や貪る心は薄らいでいってるのです。私たちは、み教えのお陰様で自然と「利他の心」で布施行をさせていただくことが身についておりますが、幸せな人生を送るために、そのことがいかに大切なことかに気づかされます。

 

それでは、「貪りは様々な災難をもたらす」ことを学びましたが、私たちはどのような心がけをしていったらよいのでしょうか。

足ることを喜べる幸せ

 釈尊は「すべての人をすくいたい」という大欲をいだかれ、ついにだれもが幸せになれる真理・法を悟られました。そして、釈尊と同じ欲は私たちの命にもくみこまれていて、それが人類の発展や向上の源にもなってきました。ですから、欲そのものが悪いわけではありません。

 仏教では「少欲知足」と欲を抑えて足ることを知る大切さを教えています。そこでもう一つ、「少欲」の「少」を「小」に変え、「小欲知足」とうい表現をご紹介くださっております。これは、「必要十分な量であることに喜んでいる」という意味です。そして「知足」を「喜足」と言い換え、足ることが喜びとお伝えてくださいました。

足ることを知り、目の前のもので満足し、皆でわかちあうことは自我を抑える訓練になります。また、人は何不自由ないときより、心が豊かに成長します。それは、「知足」と「足」の字が使われているように、「足元にたくさんの幸せがある」ことに気づけるからです。

 必要十分な量で喜べることほど健康的で幸せな生き方はないのです。

 

 先月亡くなった義母は、近所の自分より年下の高齢者へ毎日手料理を届けては話し相手をし、物をいただくと必ず近隣の方にお裾分けをし、自宅にくる配達業者さんには缶コーヒーを渡す等日常生活そのものが布施行の人でした。「小欲喜足」が幸せをもたらすことを、後ろ姿で教えていただいた様に思います。今月は、「脇祖さま報恩会」の月ですので、身施・財施・法施の布施行を心がけ、布教伝道をさせていただきたいと存じます。